025:「ブラタモリ」、僕は好きだけどみんなはどう?
1. ブラタモリ、なぜおもしろい?
別府を離れる少し前のこと。youmeタウンの回転寿司屋でガリを皿によそいながら、彼女は僕にこう言った。
鶴瓶さんの番組とは「鶴瓶の家族に乾杯」である。どちらもNHKの番組だ。両番組の評価については、僕も同意したい。ただ「おもしろい」か否か、というのは明らかに好みの問題。だから、読者の皆さんがこれを読み進めていく上では、あまり気にしなくていい。観たことがない人もいるだろうしね。
でも好みって、やっぱり大事だろうなと思う。つまり、例えば「視聴率」って、あくまで製作サイドが視聴者の反応を定量化するかっていうものであって、視聴者が番組を選ぶ上ではあまり気にしなくていいんじゃないかと。まあ、基準が複数ある(=乖離がある?)時点でテレビ業界は袋小路なんだろうけども。ちなみに「ブラタモリ」も「鶴瓶の家族に乾杯」も、視聴率では10%を超えており、NHKの人気番組に位置づけられている。この記事は、まずこの番組の比較から始めてたい。
まず、それぞれの番組の概要を触れておこう。「鶴瓶の家族に乾杯」は1995年から始まり、月曜20時にレギュラー放送されている。その輪郭はズバリ
ステキな家族を求めて日本中を巡る“ブッツケ本番”の旅番組(番組ホームページより)
である。笑福亭鶴瓶が、ゲストの芸能人と二人で町を歩き、地元の方々と交流を深めていく。視聴率で見ると、10%以上は必ず維持しており、回によっては15%超えもあるようだ。さすがは長寿番組である。鶴瓶の人柄も、お茶の間受けに関係しているのだろう。
一方の「ブラタモリ」は、2008年に始まり、第4期(2015年4月~現在)では日本全国に足を運ぶようになって以来、視聴率に明らかな伸びが見られる。毎日昼に生放送していた「笑っていいとも!」が終了したことにより、タモリが泊りがけの地方ロケに赴くことができるようになったことが、番組の可能性を広げたと言われている。番組の骨子としては、番組ホームページにあるように、
町歩きの達人・タモリさんが、“ブラブラ”歩きながら知られざる町の歴史や人々の暮らしに迫る(番組ホームページより)
ということ。同じように日本全国の町を歩き回るのにも関わらず、「鶴瓶の家族に乾杯」のそれとは、明らかに異なることが分かるだろう。鶴瓶が今そこに暮らす「人」を探しに歩くのだとしたら、タモリはその土地の「今」に疑問符をつけ、そして自然環境や歴史の視点から問い直していく。着眼点がまるで違う。
この違いは、以下に引いた彼女の発言からも分かるように、番組の好き嫌いにも端的に影響を与えたりする。
鶴瓶さんのは「おじいちゃんやおばあちゃんの温かさ」とか、「素敵な家族」像みたいなのを取り上げていくから、何て言うか、結局どれも「都会から見た素敵な田舎♪」みたいな感じ?そんな風だから、別にそれならどこに行っても同じなんじゃないかって思う。だから、あんまりおもしろくない。
なるほど、納得である。全くの同感である。
ちなみに、2017年正月には「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」が、千葉県の成田山新勝寺を舞台にコラボレーションしている。僕も彼女と同様に両番組の性格を捉えていたため、このコラボはそれぞれの特徴を活かし、さらには欠点を補い合うかのように、非常に面白い化学変化を起こしていたように思う。
(ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 2017初詣スペシャル | ブラタモリ - NHKより)
まず番組前半ではブラタモリ的に「なぜ成田山は初詣客が日本一多いのか」を探っていく。江戸(東京)との距離感や近世からの信仰のあり方、近代化以降の産業発展との関係から、新勝寺の「今」に迫っていく。実にいつも通りだ。
ここに加わったのが、後半で人々の暮らしの一端に入り込んでいく鶴瓶の姿勢である。見ず知らずの人の懐にさっと入っていく鶴瓶は、会話の中で、「参拝客が多いから駐車場業が儲かる」とか「空港が近いから便利」といったリアルな暮らしの事情を引き出していく。それらの出会いは非常に断片的であり、また非意味的ですらある。でも、その断片さや非意味性は、そのままで放置されない。いや番組としては放置しているのだが、しかし視聴者にとっては、前半で示されたマクロな「成田山」像との関係において、あたかも意味を帯びているかのように聞こえてくる。タモリが鶴瓶に説得力を与えていた。また個別の暮らしに迫った後半は、前半でタモリが示した「分かりやすい」成田山の像を解体し、むしろ厚みを持たせてその像を再構成している。言い換えれば、「さっきあんたこう言ってたけど、こういう人もああいう人もおるで」と、鶴瓶はタモリを補完する。マクロからとミクロから。この相乗効果によって、より立体的で彩りの豊かな〈成田山〉像がさりげなく、しかし実に見事に描き出されていた。
ブラタモリは、語弊を恐れずに言えば、「今を生きる人々」には無関心だ。その地域を総体として、マクロに、通時的に、ダイナミックに捉えていく。だからこそ、そこから零れ落ちた人々の息遣いを、町の共時性を「お母さん!何でや(笑)」というストレートな突っ込みによって鶴瓶が拾い上げていく、というその相互補完性が心地よかったんだろうなぁ。うん。さて、前置きはこれくらいで良いだろう。
2. 何を述べていくのか
このブログのゴールは「どのように私たちは『より良い社会』を構想し、実践していくべきなのか」という普遍的な問いに対して、私見を述べるということにある。
「より良い/Better」を考えることの大前提には現状批判があるが、ただし「どう良くするか」というエンジニアリング的思考は、ここでは避けたいと思っている。なぜなら「どう良くするか」の前提に、「何を良いとするのか」という問いがあるからであり、それを無視しては議論が宙に浮くからだ。
では僕が批判したい「現状」とは一体何か。春から環境倫理学・社会学を学んでいくことになるが、まずは僕らにとって身近な生活環境としての「まち」に着目して、議論を展開してきたい。
3.「無駄のない空間」の狂気
まず最初に言っておこう。僕が「嫌いなまち」の典型は、以下の写真のような新興住宅地である。まあ言ってどうなる訳でもないのだが、いや待てよ、「嫌い」と言い切るのは語弊があるな。別に立ち入る分には、うん、嫌悪感は感じない。どちらかというと「住みたくないまち」と言うべきか。
なぜか。正直に言おう。
- この遊歩道を歩いてくださいね!
- 毎日、カーテンを開けて朝日を浴びるの楽しみですね!
- この並木道、素敵でしょう?身も心も癒されますよ!
まるでこんなことを言われているような、そんな気分になってくるのだ。「あなたの幸せってこれですよね?合ってますよね?」と言われているような、そんな風にすら。てやんでい!
ヤバさで言えば、高層マンション群の足下も超絶ヤバい。公園や緑地、あえて作ってあるあの丘みたいなもの、赤茶色のレンガ的な何かを敷き詰めた遊歩道。「ここに住まわれることによって、幸せになるお客様の笑顔が目に浮かぶようです」とか言おうものなら、一体どうしてくれようか。。。
え、被害妄想だって? 確かにそうかもしれないな。ただ、僕のこの嫌悪感の源泉は、きっと僕の個人的な好みを超えて、もっと大きな社会的な何かに繋がっているようにも思えてこないですか?ってことを、あくまで僕は言いたい。
その何かとは、「無駄な空間」が無い、あるいは無いように作り込むということ。全てが計算されていて、そこからの逸脱は許されないこと。
この思想は合理性・効率性が重視される近代以降の社会において、特に都市計画や住宅開発の場面で、非常に強く幅を利かせている。設計者はきっと、ユーザーのコンフォータブルでハッピーなライフスタイルを追求しているに過ぎないのだろう。しかしそれによって、「ライフスタイル」という名の魅惑的なテンプレートに、「檻」に、我々は閉じ込められ飼いならされていくことにになる。この生活の目的合理的な画一化に対して、僕は抵抗していきたい。
人がゆくところは、けもの道のように自ずと踏み固められていく。それが道の成り立ちである。その先に川があれば、僕は水はけの良いところに居を構え、悪いところに田畑を開墾をするに違いない。土地の凹凸や地質、植生を踏まえて、それに相応しい暮らしを、少しずつ少しずつ積み重ねていくことだろう。その蓄積こそ「まち」の原初である。したがって何もかも崩しては一旦更地にし、その上に新しく「住み心地の良さ」なるものを追求したとしても、それはまるで根無し草に過ぎないのではないだろうか。もんじゃ焼きのヘラで、地面からぺリぺリぺリとこそげ取ることができるだろう。東日本大震災における浦安の液状化が、それを如実に物語る。
こういう物事の考え方をしていると、行政による都市計画や建売による住宅販売に対しても、とにかく批判的になっていく。そしてその延長にある際たるものは、東日本大震災という言葉も出たが、まさに被災地の復興計画である。
4.「キレイ」だらけの復興計画
卒業論文は、宮城県気仙沼市を対象とした調査・分析にもとづいて執筆した。気仙沼市のなかでも、「内湾地区」と呼ばれる魚町・南町エリアでは、住民たちが先頭を切って、巨大防潮堤計画への異議申し立てや行政との交渉を担い、今日では地元企業によって復興まちづくりが続けられている。
現地を訪れる前に、幾つか文献を参照し、行政資料を見ていくなかで気付いたことがあった。被災地の復興計画には「キレイなもの」しか描かれていないのである。地元住民や観光客、老若男女にとって心地よく暮らせるまち、マチ。。。
しかし調査・考察を重ねていく中で、おもしろいことに、それは見事に裏切られていった。気仙沼市内湾地区の動向の背後には、地域の歴史性を縦糸として掘り起こし、まちをその規範の範疇において織り直していく姿勢が通底していること、住民組織「スローフード気仙沼」が中心的にそれを実践・具現化に努めていることが明らかになったのである。自然環境や歴史との関係において、人々がまちを眼差し、そのあり方を構想する、そんなダイナミズムが浮かび上がってきた。したがって同論文では、そのさまを記述することにしたのである。
【写真:内湾地区の夕暮れ(本人撮影:2016年11月28日)】柏崎から臨む「内湾地区」。手前と左手の土の部分、ここが南町。画面右奥の河岸の背後に広がるのが魚町。2017年春に着工するプロジェクトはこちら➡(気中20+PLUS 内湾の未来計画図)
しかし被災地の多くは、歴史性や地域性を無視した「キレイなもの」が乱立していくのを許してしまっている。確かに現地には疲弊がある。だから幾分仕方がないのかもしれない。しかしそれによって着実に具現化していくのは、誰のためかさえ分からない「復興」である。
例を挙げよう。3.11からの沿岸部の復興を考える上で欠かせないのが、「職住分離」という考え方である。そのコンセプトは、度重なる津波の被害を最小化するべく、海抜の低いところには工場や事業所といった「職」のゾーンを設け、そしてそこから少し離れた高いところには住宅地を構える、というものだ。一見すんばらしい。しかし都市生活者のように住居から職場に出勤していくという生活のあり方は、海との関係において生業を営む人々にとって、不都合極まりない。火を見るよりも明らかだろう。このような復興計画の実態を、社会学者・金菱清(2016)は以下のように述べている。
災害における「高台移転」、「防潮堤」や「災害危険区域」、そして「原発避難区域」の議論は、科学的因果関係のもと、いつのまにか被災者の暮らしの目線を通さないまま、生きるか/死ぬかという単線的な生存の議論にすり替わっている。(中略)そこでよりよく生きるという文化的な営みが大きく後退させられている。生存の議論が科学的なシミュレーションに乗っかって、唯一の正しい解であるかのように自然さを装っている。(pp.28-29)
科学批判をしたいのではない。その使い方が伴う物事に対する想像力の欠如に対して声を上げたい。僕は、このような過程で「外」の論理が協力に移植され、結果として「キレイ」になっていく復興のことを、「遺伝子組み換え復興/Genetically Modified Reconstruction」と個人的に呼称している(つまり造語)。
無機質で血の通っていないものの総称としての、そういった「キレイさ」。目的合理性の追求という単一の正しさに基づいて計算された、そういった「キレイさ」。テクノクラートの企みや新自由主義的なマーケットが築き上げ、そして我々が喜んで吸い込まれていくように魅惑的でキレイな「檻」。
僕はさきほど、これに抵抗したいと述べた。では、一体何によってそれは可能か。
5. スミスへの抵抗、青の顕現
僕は、〈逸脱〉の可能性を考えてみたい。檻だけに〈逸脱〉。
いや、ただの言葉遊びではない。〈逸脱〉こそ、そこからスルリと抜け出ることができるものではないか。そしてそこに、より本質的な自由はある。〈逸脱〉による脱・キレイ性。想定できないもの、予想だにできないこと、計算できないもの。〈余白〉とも換言できるだろうか。
カルチュラル・スタディーズ研究者の上野俊哉は、『四つのエコロジー:フェリックス・ガタリの思考』(2016、河出書房新社)において、ガタリの仕事を以下のように評している。
ガタリの思考においては整理できていないガラクタや道具の寄せ集めのようにあらゆる概念をつなげては切り離す過程がたえまなく繰り返され、同時に惑星的な規模での美的なものの探求が予感されている。全く意見を共有できない、異なる情動や欲望をもったものどうしの束の間の連携、偶然の出会いにひそむ可能性に賭け、そこから別の価値の宇宙を掘りぬくこと、ここにガタリのエコソフィ―が広がっている(p.371)
「別の価値の宇宙」が、ここでのキーワードである。言うなれば、「檻」に閉じこもる我々はある単一の価値の宇宙を生きているのであり、〈逸脱〉とは、oneではないanotherへのベクトルに他ならない。またこの評を踏まえてガタリ論を展開する上で、上野(2016)は
日常や社会のうちにどんな「あそび」や「すきま」、あるいは「空胞」をそなわせておくか(p.371)
という問題関心を念頭に置いていたことを語る。
さらに氏は、『マトリックス』シリーズにおけるエージェント・スミス(下の写真)になぞらえながら、我々の内に潜む「檻」の秩序を守ろうと働くベクトルの存在を示唆する。2017年2月、APUでの集中講義での議論である。だからこそ、例えば教育においては、〈あそび〉をいかに学びに内包させるかが重要だと語っていた。
教えること/躾けることは、マトリックスに縛りつけることではない。「守破離」という言葉が芸道にはあるが、破離が前提されている守であればこそ、守は守としての意味を成すのだ。別の価値の宇宙を想定していない「檻」ではなく、破かれるためにある〈薄い膜〉。そこから顔を出す瞬間に、爆発的なエネルギーが燃焼される。そしてそれこそ、教育を〈檻あらざるもの〉として再帰的に規定するのである。
確かに、大学の後輩たちや塾の教え子たちが圧倒的な成長を見せたときのことを思い返せば、それはこちらの目論見を軽々と乗り越えた、あるいは回り込んで変化球を放り込んできたときだった。教育において重要なのは〈あそび〉をいかに内包させるか。うーん、至言である。
このことと関連して、僕の好きな言葉「青は藍より出でて、藍より青し」を紹介したい。高校1年生のとき、古典の先生が紹介してくださったと記憶している。原典は、諸子百家のひとり・荀子の『荀子』である。
「靑取之於藍、而靑於藍、冰水爲之、而寒於水。」
書き下し文:靑は之(これ)を藍より取りて、藍より靑し、冰(こほり)は水之(これ)を爲(な)して、水よりも寒(つめた)し。
藍から採ることのできる青という色は、藍の葉はおろか藍の染料よりもずっと青い。このことが転じて、弟子が師の学識・技量を超えることを指す。学問や努力によって生来の資質を超えることができるという意味もあるという。
すなわち藍には、青というもうひとつの宇宙が潜勢している。それが顕現するためには、それが顔を出すことができるような経路を設けなければいけない。しかし教育における青の顕現は、その程度・濃度いずれにおいても予測不可能で、そこまでの舵取りはできない。学部時代のゼミの指導教員の言葉を借りれば、「どのように化けるかは化けてみないと分からない」のである。
だからこそ、そこは〈あそび〉として残しておくことが重要になる。色見本を見ながら、「あなたはこの色になりなさい」と顕れ方までをコントロールしようとするようなそれは、教育ではない。大人にとって好都合な「良い子」を育てるだけである。したがって、教育とはおそらく、自発的に内側から青色が顕現するようなツボ、その在り処を探り当てていく旅なのだろう。
6. まとめ~風土論へ
以上を踏まえれば、僕の言わんとすることは、もう大体お分かりだろう。
すなわち「檻」からの〈逸脱〉こそ、被災地復興における質的復興の原動力になる。したがって、その〈逸脱〉が可能になるような〈薄い膜〉を復興計画が準備しつつ、それが顕現されるためのツボを押すこと—―復興計画に〈あそび〉を内包させておくこと――が必要ではないだろうか。気仙沼市内湾地区の事例も、その視点から論ずることもできるかもしれない。
住民たちは、行政との関係において固着させられれば、ずーっと「住民」のままで眠ったまま死んでいく。生命は維持されても、そこに〈生〉の熱量は失われていくのだ。しかし〈あそび〉が確保されさえすれば、そこから、彼ら/彼女らのうちに潜勢する青が、凄まじいエネルギーを伴って顔を出していく。震災から6年が経過した今、復興まちづくりに求められているのは、ある意味、行政・住民間の適切な距離感であると言えるだろう。
極端なことを語弊を恐れずに言うとすれば、性風俗店が挙げられるだろうか。あるいはグレーゾーンぎりぎりのそういう感じの店舗。そういった、復興計画や都市計画には絶対に載ることのないもの。すなわち社会規範からの〈逸脱〉の存在は、キレイだが生気の無い「檻」に、果たして風穴が空いているか否かを測ることのできる尺度の一つなのかもしれない。
APU関係者は、同学のある別府を思い出して欲しい。市内の中心部、その路地裏に入れば、ピンクのネオンが煌煌と輝いているだろう。日常から離れることで癒しを求めるリゾート地、さらには裸で湯に浸かる温泉、この二つを併せ持つ温泉街。うん、付き物なのだろうね。「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里は、外国人留学生が学部生の半数を占めるAPUと大分県別府市の風土との関係性に着目し、以下のように述べている。
APUがうまくいったのは、大学がある別府という町にも秘密がある。現地に行ってそれを感じました。研修1日目の夜に、地元の方に、別府の路地裏を案内してもらった。湯けむりがあちこちから立ち上る温泉街、別府。昔から温泉街って、傷ついた人やよそ者なんかが逃げ込む場所でもあった。異端な人をまるごと受け入れて、かくまってくれる。いまでもきっちり怪しさと懐の深さが町から伝わってくる。
別府というマチだからこそ、80ヵ国以上から集まった留学生がひしめくAPUという大学がぬくぬくと育つことができたんですね。普通、地方の小都市にいきなりいろんな外国人がどかっとやってきたら、普通だともっと色めき立っちゃったり、摩擦があったり、となってもおかしくない。事務方の皆さんが地域住民にこまめに説明してアフターフォローもしていた経緯はあったんだろうけど、APUというグローバルな大学が受け入れられたのは、別府という温泉街が、ある種のアジール(聖域、避難所)だからじゃないでしょうか。
つまりアジールとグローバルが1つになったわけです。アジールとグローバル、実は相性いいですよね。異質であることをお互い認め合う。誰もが異質だからこそ、誰もが同じ目線で一緒にいられる。(ようこそ、九州・別府の超グローバル大学へ。立命館アジア太平洋大学 APU|日経ビジネス オンライン SPECIAL)
グレーゾーンの内包や、それが可能にする他者との共存/共生は、人々に、「檻」の内で飼われた「住民」としての生き方ではなく、巧く言葉にはできないけれど、おそらく、より本質的(?)な自由をもたらすのだと思う。全くもって感覚的な話だけれど。
*
まとめよう。まず「嫌いなこと・違和感のあること」として、新興住宅地における計算された「無駄のない空間」を挙げるところから話を始めた。その計画性・画一性、それにもとづく非寛容性。その象徴としての、被災地の復興計画。その背後にある、テクノクラートの企みと市場原理の強力な介入。したがって、その実「遺伝子組み換え復興/GM復興」に過ぎないこの実態。これを脱却する上での、〈逸脱〉とそれを可能にする〈あそび〉の内包の重要性。ここから言いたいことは、以下の三点。
- まるで神の如く「上から」土地を把握したとしても、その二次元的な理解にもとづいて、すなわち土地の表面部分においてのみを見る視点によって、まちのあり方を構想することがナンセンスだということ。
- 三次元的/立体的にその土地を捉えて、まちを構想する上で、そこに住む人々に潜勢する〈青〉の可能性を信じることが重要だということ。
- その〈青〉なるエネルギーは、別府がその土地柄に支えられて多文化共生の土壌を備えていたように、その土地の自然環境や歴史が織りなす風土によって準備されているのかもしれないのだということ。
風土への着目。この姿勢こそ〈まち〉のあり方を構想する上で依拠できるものではないか。この辺りの議論は、和辻哲郎の『風土:人間的考察』(1979、岩波書店)などを参考に、今後より考えていきたい小テーマである。そしてこの仮説/問いに行き着いたことこそ、僕が「ブラタモリ」におもしろさを見出したことと密接に関係していると考えている。最後にまだこのブログには組み込みきれない、だからこそ/しかし、以下の和辻(1979)の記述を引用したい。同書の冒頭言である。
我々は風土において我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。(p.17)
我々はさらに風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる人間生活の表現のうちに見いだすことができる。風土が人間の自己了解の仕方である限りそれは当然のことであろう。我々は風土の現象をかかるものとして捕える。従ってそれが自然科学的対象と異なることは明白である。(p.19)
人間の、すなわち個人的・社会的なる二重生活を持つ人間の、自己了解の運動は、同時に歴史的である。従って歴史と離れた風土もなければ風土と離れた歴史もない。が、これらのことは人間存在の根本構造からしてのみ明らかにされ得るのである。(p.20)
僕が、環境との関係において現代社会を把握しよう(環境社会学)とするのも、この和辻の記述から考えることができるかもしれない。
*
参考文献(引用順)
- 金菱清(2016)『震災学入門:死生観からの社会構想』筑摩書房.
- 上野俊哉(2016)『四つのエコロジー:フェリックス・ガタリの思考』河出書房新社.
- 和辻哲郎(1979)『風土:人間学的考察』岩波書店.