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炉辺を囲むように。

022:キンモクセイの季節。

 金木犀、キンモクセイ。別府の家の、近所の公園で最近ようやく花を開いた。大学の通学時と帰宅時、甘く強いかおりが気分を高揚させ、また落ち着かせる。平安の歌人であれば気の利いた歌でも詠んだのだろうが、しかし調べてみると、この草木は近世に唐土から渡来したというからそれはあり得ない。

 

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 このかおりが満ちる度に、冬を連想する。それでも僕はまだ夏物のポロシャツを着ている。濃い青の、夏の海のポロシャツ。時間を引き留めるかのように、まだ時間はあると言わんばかりに、いやただ面倒臭がっているに過ぎないのだが、しかしどうしても瘦せ我慢している自分がやはりいる。

 

 一週間ほど前、ある用事で実家のある東京にとんぼ返りすると、キンモクセイ?もうとっくに散ったよと、当たり前でしょ?と言わんばかりに、母はそう言った。冬は確実に、北や東から迫ってきている。嗚呼、あと半年のあいだに、春物を引っ張り出す頃合いまでに、どれだけ突き詰められるだろうか。

 

 二、三回ほど、四、五日かけて鈍行で帰省したが、やはり日本はとても広く、細長く多様で、でもどこでも土と水は豊かだ。実家から離れてそう思うようになった。都市と農村、都会と田舎。言葉の上では分かりやすい対比ではある。でも「分かりやすい」の罠には、くれぐれも用心した方がいい。

 

 ところで金木犀は別府の木でもある。明礬温泉の硫黄臭も嫌いではない。別府に戻ってくると、国道十号線の排ガスの向こうにかすかに漂う温泉街の証。熊本地震の影響は未だ拭えない。この秋には、あの地震を経験していない外国人留学生が多数入学してきた。と思ったら、鳥取でまた大地震である。

 

 一九四八年の福井地震後に導入された震度七は、阪神淡路大震災(一九九五)で初めて適用され、以来この約二十年間で合計四度の震度七が観測された。僕たちはそういう土の上に生きている。五年前、海はまちを流した。しかし草花は平然と風に揺れている。そういう土の上に僕たちは生きている。

 

 知識は経験を超えることはできないのか。体験、経験、実践。今日濫用されるその方法の、その強力な引力・魅力・説得力は、僕たちから大切な何かを奪っていないか。侵されていないか。しかし「曇りなき眼」もまた夢想かもしれぬ。では僕はなぜ本を開き、しかしそれに向き合おうとするのか。

 

 気持ちよく、自分の思うように、理想的なキャベツの千切りができたとき、その気持ちよさは何にも代えがたい。でも「自分の思うように」は呪い。「自分らしさ」の自縄自縛は、見たいセカイを見せてくれるが、それを愛撫しても満たされない。目の前の「薄い膜」の、その向こう側を僕も見たい。

 

 乳と卵。川上未映子は、僕にはよくわからなかった。むしろ乳房も生理もない僕に理解できる方がすごい。ただ顔も身体も衰えたときに読み返すと違うのかもしれない。読書とは往々にしてそういうものだ。だから僕は久しくハリー・ポッターを開いていない。きっと何かを留めたいのだと思う。

 

 君の名は。シン・ゴジラ。この映画を語れるほど、僕はやはり先の「震災」を捉えられていない。そもそも当時、僕は問うべきであった何かを逃している。土と人、海と人との関係を、災害という切り口から卒論において描こうとする根幹には、僕個人としてのそんな「引っかかり」があるのだと思う。

 

 身体と強烈に結びついた記憶。金木犀が次の冬を、walkmanのあの曲が高3の夏を、それぞれ僕に連想させるように、トイレの水を流す音ひとつで引き戻される人がいる。耳を塞ぐ人がいる。忘れたい、しかし伝えていかねばならない。そう思う人がいる一方で、全く語らない人もいることだろう。

 

 生きるということの追求。それを今目指している。一昨日はサバづくしだったが、サバは美味い。朝にはサバ入りのお握り、昼には学食で塩サバ、そして夜には南蛮漬け。海外にいる友人たちには申し訳ないがサバは美味い。DHAも摂取できる。サバを食いつつ、金木犀をかぎつつ、能動的に生きたい。