the INGLENOOK

炉辺を囲むように。

014:考えたことを何らかの形で残したくて、つらつらと(その一)

目次

0. 「備忘録」という言葉の内実 -はじめに-

1. 学ぶタイミングについて -授業から学んだこと-

2. 自分は20年後どう分類されるのか -安保云々をめぐって-

(以下、次回以降)

3. ポーランド旅行のこと

4. アカデミックキャンプ、調査研究入門、清家ゼミで今のところ感じていること

5. そのほか

 

0. 「備忘録」いう言葉の内実 -はじめに-

 大学四年間。これを四季に例えるとするならば、三年生の今は「実りの秋」となるか。完全な主観なのだが、一・二年次のあれやこれやが巡り巡ってこの頃の稲穂をたわわにしているというか、そのような感触である。Steve Jobsの有名な、有名すぎて引用する自分も食傷気味な、かのスタンフォード大学卒業式のスピーチにあるように「点と点を予めつなげていくことはムリだったけれど、後から振り返ったらきれいにつながっていた」(筆者意訳)といった表現ほどに、僕のそれはきれいな線を描くわけでもないけれども、うん、似たような感じである。

 もったいぶらずに言うなれば、「今まで大学生として過ごしてきたが約2年間を土壌として、前セメスター(2015春)とこの夏休みの前半戦の、計5か月間の手ごたえが存外大きかったと感じている」となる。

 というわけで、せっかくこのようなブログという場があるのだから、しばらく更新もしていないことだし、所感を少しばかり書き留めておこうと考えた。実際、セメスター中にあっても「なんかいつもより濃いな」と切に感じていたことだし、その言葉に嘘はない。しかし正確には、「書き留めておこうと考えた」のではなく、書き留めておかねばならないと感じたと表現した方が、僕の心情には近しいかもしれない。

 書き留めておかねばならない、と書くとなんだか仰々しいが、こう思うのは将来自分が読み返すためでも、ブログを読んでくれる人が数人ばかりいるからでもない。とにかく、「何やら書き留めておかねばならないと感じる」という強迫観念が原動力となっている。そんな気がする。(※じゃあWORDやその辺のノートに書き殴っておけばいいじゃないか、と思われるかもしれない。僕もそう思った。しかしそれではなんだかモチベーションにならないのである。何だかんだ承認欲求の塊なのだろうな、他人に読まれるとなるから書けるのかもしれない)

 話をもどそう。だから換言すれば、たとえば「頭の中で明確にコレを書くんだ!」となっているから僕は書くわけではないし、したがって何か革新的なことを書けるわけでもない。そもそも、今の時点で今の物事に価値づけできるわけがない。ならば「取りあえず、備忘録として書きます」と端から書いておけば、こんな長い書き出しはそもそも不要だったかもしれない。しかし僕はその備忘録として位置付けた経緯や、その背景にある自分自身のほのかな思いも、僕自身が誰より知っておきたかったし、否、知っておかなければ、今それを自分の言葉で記しておかないと、いつか手のひらから零れ落ちてしまっているのではないか、そんな気がしたのである。

 したがって、本当なら一項目ずつ、ブログを書けそうなくらいウエイトをかけてもいいのだろうが、しかしこうでもしないと書き溜めて更新するタイミングを逃してしまう。だからこの春セメスターから夏休みにかけて感じたことを、目次にあるようにつらつらつらと、一息に書いてみることにした。

 

1. 学ぶタイミングについて -授業から学んだこと-

  このセメスターでは、専門でも英語開講でもない科目をとった。つまりどちらも100番台の教養科目。卒業のための単位取得を目的にすれば、得なことは何もないだろう。しかしシラバスが魅力的だったのだから仕方がない。政治学入門(中道先生)とアジア太平洋の地理(小山先生)である。

 自然と身についていた「教室の前方の席につく」という癖は、確実にそこでも発動したのだが、なぜだろう、周りの一・二回生たちは後方並びに教室脇の座席に固まっている(注、三回生はほとんどいなかった)。おかげで前から二列目に座っている自分の周りにはあまり人がいない、という奇怪な状況がとりわけアジ地理では発生した。何を意図して自分が前方に座るのだろうかと考えると、①やる気まんまんだから、②やる気がある様子を先生や周囲の学生にアピールしたいから、③目が悪いから、④前の方が集中できるから、⑤後ろは概してうるさくて緊張感がないから、⑥発言しやすいから、というのがあがってきたけど、まあやはり自分にとっての一番は①でしょう。気の進まない授業では違った気がするので。

 

 さて中道先生の政治学入門だが、これは本当に取ってよかったと思った授業だった。まず一回目の授業。「政治とは何か」という根本の問いを、坂口安吾の『桜の森の満開の下』にはじまり、芥川龍之介黒澤明の作品を横断しながら、最後にM.ウェーバーの『職業としての政治』に触れて、ガツーンと提示してきた。簡潔に述べると、「国会議事堂はもちろんのこと、そこで行われていることだけが政治ではない。投票だけが国民の『政治行動』ではない。日常の中に政治という現象は散見されるものであって、他人事ではない」ということになるが、至極簡単なことを言っている。議会制民主主義の範疇での議論だけではなく、広義の「政治」というものを扱っていくのだということを、少し遠回りをしながら、しかし浅薄ではないかつ冗長でもない語り口で、ストレートに最初からぶつけられてしまったのである。なにか初っ端から衝撃的過ぎて、授業後すぐに、大学生協の書架から『職業としての政治』を引っ張り出し購入してしまった程である。

 具体的には、権力の二側面性(紛争を解決させる手段でありながら、ときに紛争の目的となってしまうということ)についてや、疑似カリスマとしてのヒトラーの話など、政治現象の部分についての言及が多く、興味深かった。一般的に政治学というと、まあこれは完全に小中高での社会科の影響なのだろうが、制度としての「立法、行政、司法の三権分立」とか「小選挙区比例代表並立制」とか、そういう外枠の話が繰り広げられるのだろうという想像ができるが、この講義ではその中で発生する現象についての学術的な議論が展開されていた。もともと受験世界史が好きで得意な人間だから、そこで扱われる歴史的事件や人物については全然問題なかったけれども、しかし22歳である今、不在者投票制度を使って3度ほど投票行動をして迎えた今、そして安保云々が議論を呼んでいる今だからこそ、きっとこの授業は、自分にとって大きな意味を持ったのだろうと感じている。

 もしも1年生の時、この講義を取っていたら何を学んだだろうかとふと考える。知識だけ蓄えて、それでお終いだったのだではないか。大学での人間関係や、サークル・イベント等の活動事情、大学における学生・教員・職員の関係性、そういったものを2年ほどかけて「どうしたもんかなぁ」と客観視しようと試みていたからこそ、この授業の中で「ああああそういう風に学問的に昇華できるのね、この俺の悩みは!」といった類の感動が多かったのだと思う。100番台だから、と舐めることなく、もし興味のある方は学年を問わず受講してみることを強くおすすめします。(とかいってハードル上げちゃうとなぁ、感想が違ってきちゃうんだよなぁ。。。まいいや)

 

 アジ地理は、戸山時代の小川先生的な授業の延長、かつ学術版だと考えてもらえるといい。別な言い方をすれば、「暗記ではなく、考えることをもとめられる地理の授業」だという風になるか。てかそもそもいわゆる「社会科」は、まあ暗記は最低限必要だが、それが目的化してしまうような今のカリキュラムをどうにかしたほうがいいと思う。目的はそこじゃないでしょう。そんなんだから、「歴史おぼえる意味あんの?」とか言われちゃうんだよ。手段として、多少の年号や人物名、国名、数値を覚えた方が良いというのには異論はないけれどもね、その先への示唆が中高の段階からほしいよね。だから上に書いた「暗記ではなく、考えることをもとめられる地理の授業」という表現も、本来ならば「地理の授業」と書くべきなんだ。でも一般的な認識ではそうはいかない。

 宮崎駿の『天空の城ラピュタ』のシータではないが、「(人間は)土から離れては生きられないのよ」的な理解をすれば、人間の営みや文化といったものを学んでいこうとするとき、すなわち立命館アジア太平洋大学の一学生としての務めを、自分なりに果たそうと考えると、「物事の空間的なひろがりを読むということ」を無視することは、うーん、根無し草も甚だしいなぁと、改めてそう思うようになったのであります。「日本の歴史や文化を知らなければ海外に出ても云々」という議論に近いですが、わたしが生物としても人間としても必要とされるであろう嗅覚を、突きつけられた思いがしたのである。個人的な課題としては、Quantum GISをマスターしたいというのが残っていますが、まあそれは追々。ともあれ小山先生が、南極観測隊(?)として任務を無事に終えられて、生還されることを切に祈っております。

 さてこの授業で個人的に感じたことを述べておくと、まがりなりにも環境倫理とか動物倫理とか、そういったものをゼミで扱ってきていた手前、地理学という視点を通して社会を観察しようというその姿勢には、何かしらの親和性のようなものを感じたのである。 眼前にある「自然」を一般性を帯びるように切り取って、普遍的な手法を用いて「再生」とかをのたまうのではなく、眼前にある「自然」を人間社会と対置するような形で切り離して「保護」とかを謳うのではなく、なんだろうなぁ、もっと大きく人間のエゴも知恵も、そしてそこで生じている人間と「自然」の関係性も、何もかも包摂した形で個別的に見ていくこと、その重要性を感じていた自分にとって、地理学は「何やら面白いぞ!」と思わせてくれた講義だったのである。

 

2. 自分は20年後どう分類されるのか -安保云々をめぐって-

 書こうかどうか迷ったが、まあやはり他者に読ませるというよりは、個人的な備忘録としての意味合いが強いので、「えいっ」と書き始めたのである。

 まず述べておくと、(1)米国追従は意味がないと思っている、(2)日本国憲法第9条が日本を70年間守ったとは思っていない、(3)平和とはゼロから構築するものであって所与のものとして存在するものではないと思っている、というこの三点から、安全保障関係のことを「今よりもスッキリさせる」ことについて、概ね賛成の立場である。

 しかしながら現在の政権与党の進め方には、理解すらできない。ヒールにでもなったかのように粛々と遂行をしていくその背中には、クエスチョンマークが浮かんでばかりなのだ。憲法改正から進めれば、つまり外枠から進めれば、それはそれでよっぽど正攻法だったのに、内側からちまちまと閣議決定やら、そんなとこでやってくから法案そのものよりも、その態度に対する野党の感情的高まりばっかり助長してしまって、「議論をする」という空気にないではないかと思ったりする。(まあそもそもそんな空気を彼らが作れるとは思えないけれど。)そんな野党も野党で追求があんま上手くないし、与党は泥臭くかわすのばかり上手くて、なんかやっぱり「進んだ」という感触は覚えない。とりわけ、この議員たちをおれは選ぶ側にいたんだよな数年前に、と議会制民主主義の歯がゆさを感じたのである。

 とはいえ国会前のデモに加わろうと思ったこともない。いくらウェーバーを読んで、中道先生の授業を聞いて、「広義の政治はそこら中に転がっているさ」と感じたところで、SEALDsらの主張するようなかたちの活動が民主主義であるという命題に対する賛同は毛頭ない。何やら「国民」や「若者」の代表のつもりらしいが、少なくとも僕はそこ含めてほしいとは思わない。またデモという行動の特性上、シュプレヒコールは端的に「戦争法案」とか「安部やめろ」とか、そういったものになるのかもしれないけれども、でもそもそも法案の吟味が重要なのであって、公述人として喋ってた奥田氏も大してその点には触れていない。まあ、法案を検討するのは議員の本分なのだから、とそもそも論を出してしまえば元も子もないのだが。

 断っておくが、僕はデモという行為そのものへの反対したいという思いはない。だってこんなブログで、自分の政治的姿勢やら意見を述べている時点で、デモしているのと大して変わらないのかもしれないし笑。もちろんデモが無駄だとは思わない。それは何らかの形で世の中への問題提起をしているのだから。ただし、まだ自分でもはっきりとした理論武装をできるわけではないのだけど、「僕は彼らには賛同できない」という直感的な思いから、それに加わろうとは思いません。ただ興味はあります。あの場所はどんな熱を帯びているのだろうという好奇心から、野次馬的にあのあたりに足を運んでみたい、とは思う。まあ思いっきりイデオロギー対立に回収されているかもしれないし、それに行けばますます、自分がどういうスタンスなのかはっきりするかもしれないし。まあイデオロギーということで言えば、今の政権与党が保守か、と言われればこの拙速な感じの国会運営にそれは感じられないというのが本音です。もう誰も信じられない!という状態になりかかって、こうして唯一信じられるかもしれない自分の意見を、こうして記しているわけであります。

 というわけで、10年後、20年後、政治学者さんたちがまとめた研究所の中に、その「当時の国民感情の系統」として、私はどういう分類をされるのでしょう。さてさて非常に気になるところです。もちろんそれはそのときの日本社会の姿に、いくらか影響を受けるのでしょう。どんな日本を私たちは作り、そこに生きているでしょう。少なくとも、私は自分に子供ができて、そして2015年、戦後70年夏から初秋にかけての日本政治の動きを彼ら/彼女らに伝えるときに、「どうして自分は東京に帰省していたのに、国会前に行かず、家のテレビやネットで情報を得て、ブログに私見を書いていたのか」ということも含めて、きちんと説明できる大人になりたいと思っています。それもひとつの「未来への責任」だと思っていますので。

 

(続く)